ジム・モリソン / Jim Morrison
ドアーズの神秘性を高めていたのが、圧倒的な存在感を持つボーカルで詩人のジム・モリソン。検閲や社会通念と絶えず闘いながら、セックス、暴力、自由、精神性を詞にしたモリソン。体制を怒らせ、圧力をかけられ、逮捕されても、“反逆の道”(敬愛する詩人の1人ウィリアム・ブレイクが“知恵の宮殿”に繋がると考えた道のこと)を突き進む。
しかし、あまりにラディカルな言動をエスカレートさせ、トラブルを続発させるこの大酒飲みの詩人は、FBIのブラック・リストに危険人物としてファイルされるなど、官憲から徹底的にマークされてしまう。酒とドラッグに溺れて自己破壊が始まり、ロック・スターであることにも倦み、疲弊したモリソンの興味は次第に音楽から詩作や映画製作へと変わっていった。そして 1971年、彼の別れのメッセージが込められたような傑作「L.A.ウーマン」を最後に、事実上の妻パメラと共に渡仏。詩人としての新たなキャリアを模索するが、同年7月3日、27歳の若さでこの世を去る。亡骸が埋葬されたパリの墓には生前の彼を偲び、今も世界中のファンが訪れている。
まさにロック音楽の伝説的アーティストの1人として今も人々の心に生き続けるモリソン。
今日に至るまで、彼を凌ぐほどの過激で才能に溢れたカリスマは現れていない。そして、彼が書いた歌や詩はもちろん、ギリシャ神話の酒神“ディオニュソス”を思わせる言動の数々は、今も世界中のアーティストやオーディエンスをインスパイアしている。 |
ジョン・デンズモア / John Densmore
ドラムスのジョン・デンズモアは、ドアーズの“リズム隊”をはるかに超えた存在だ。
ジャズ・ミュージシャンのエルヴィン・ジョーンズや、ブラジル音楽のしなやかなグルーヴに強く影響を受けた彼は、ダイナミクス、ストラクチャー、音楽性を進化させ、それらをドラムビートに載せた。
60年代半ばに、ギターのロビー・クリーガーと“サイケデリック・レンジャーズ”で活動を始めるが、まもなくキーボードのレイ・マンザレクとモリソンのバンドに誘われる。これがデンズモアがロックにのめり込むきっかけとなった。
以来、既成概念をくつがえす数々のレコードを作り、前代未聞のライヴ・パフォーマンスを行うことになる。
1971年のモリソンの死は1つの時代の終わりを告げたが、残された3人はアルバムを2枚リリース。ドアーズの解散後は、ロビー・クリーガーと共にバッツ・バンドを結成し、75年までにレゲエを基調とした2枚のアルバムを発表。その後、デンズモアは音楽活動と並行して、本や記事を執筆。ロサンゼルスの実験劇場を中心に、芝居の世界でも精力的に活動を始める。 |
レイ・マンザレク / Ray Manzarek
ドアーズのあの中毒性のあるキーボードの音色は、レイ・マンザレクが構築したものだ。マンザレクは、ロック、ジャズ、ブルース、ボサノバなど、様々なジャンルの音楽を融合させ、全く新しいサウンドを生み出した。
ジム・モリソンとシカゴ出身のマンザレクは -2人ともUCLA映画学科の学生だった - ヴェニス・ビーチで再会する。元々クラシック音楽の素養があったマンザレクは、モリソンの詩に共鳴。やがて2人はバンド活動に乗り出す。マンザレクがキーボード・ベースを使用することにより、ベーシストの不在を彼の左手がカバーすることとなった。モリソンの死後、残された3人はドアーズ名義でアルバムを2枚発表。解散後はソロ活動を開始し、その後新たに“ナイト・シティ”というバンドを結成。モット・ザ・フープルやエアロスミスと比較されがちな5人組のグループは、1977年と78年に2枚のアルバムを発表した。
マンザレク自身はプロデューサー、また奏者として、ロサンゼルスのバンド、Xのアルバム作りに参加。5枚のアルバムのうち『ロサンゼルス』は、パンク・ムーヴメントを象徴する作品として評価が高い。マンザレクは本も数冊執筆。ソロアルバムも数多く出している。2002年より、自らが中心となってドアーズのセルフ・トリビュート・バンドを始動。現在もロビー・クリーガーと共に、’レイ・マンザレク・アンド・ロビー・クリーガー・オブ・ザ・ドアーズ‘として活動中。 |
ロビー・クリーガー / Robby Krieger
クセのあるスライドギター、実験的なギターソロ、土臭いグルーヴが持ち味のギタリスト、ロビー・クリーガー。彼はトゲのある流動的な激しさをドアーズのサウンドに付け加えた。同時にソングライティングも手がけ、ドアーズの代表的なヒット曲の生みの親でもある。ヒットチャート1位に輝いた<ハートに火をつけて>もその中の1つだ。
ロサンゼルス出身のクリーガーは、トランペットとピアノを習っていた。ギターに傾倒し始めたのはロックではなく、スペインのフラメンコ・ギターの影響だったという。 とはいえ彼が初めて憧れたギター・ヒーローは、伝説的なジャズ・ギタリストのウェス・モンゴメリーだ。モリソンの死後、クリーガー、マンザレク、デンズモアは3人で活動を続ける。ドアーズ名義でアルバムを2枚出すが、1973年に解散。
デンズモアと結成したバッツ・バンドを経て、ソロ活動に転じてからのクリーガーは、ジャズ・ギタリストとして成功を収め、70年代から80年代にかけてロビー・クリーガー・バンドを率い、アルバムを数枚レコーディングした。2010年6月には、10年ぶりのソロ・アルバムとなる‘Singularity’をリリースした。「ギター・プレイは年を取るにつれ、円熟味を増す」そう本人は語る。
ローリングストーン誌が選んだ“100人の偉大なギタリスト”にも彼の名は刻まれている。 |
ジョニー・デップ / Johnny Depp
ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせたジョニー・デップは“The Kids”のリードギタリストとして活躍。(後にバンド名を“Six Gun Method” と改名)
ニコラス・ケイジの勧めにより俳優へ転身し、『エルム街の悪夢』(84)で映画デビュー。『プラトーン』(86)の端役などで経験を積んだ後、TVシリーズ『21ジャンプ・ストリート』に主演し、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。しかし、自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れ、活動の場を映画のみとすることに決めた。『クライ・ベイビー』(90)で映画初主演を果たすと同年、続けて主演したティム・バートン監督の傑作ファンタジー『シザーハンズ』では、心優しい異形の人造人間をユーモアと哀感たっぷりに演じて、映画ファンの心にいつまでも残る名演を披露、ハリウッドにおいて確固たる地位を築く。
その後も『妹の恋人』(93)『ギルバート・グレイプ』(93)『エド・ウッド』(94)『デッドマン』(95)『ラスベガスをやっつけろ』(98)『ブロウ』(01)など、ハリウッドのメインストリームとは一線を画した作家性の強い作品に好んで出演、ハリウッドきっての実力派として映画人たちからも一目置かれる存在となる。(『エド・ウッド』でロンドン映画批評家協会賞 主演男優賞受賞)俳優業の傍ら、1997年には『ブレイブ』で監督デビューも果たす。1999年にこれまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。
1999年には、ヴァネッサ・パラディとの間に長女が誕生。2003年、主演したディズニー製作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』が大ヒットを記録、それまでどちらかというとハリウッドのアウトサイダー的存在だった彼自身も世界的な規模で名声を獲得した。同年の「ピープル」誌にて「最もセクシーな男性」に選出され、全米映画俳優組合賞主演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
2004年公開の『ネバーランド』でイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーを好演し、アカデミー主演男優賞にノミネート。2007年には『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』で、初のミュージカル映画に出演。この作品でゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演男優賞にもノミネート。2009年には「ピープル」誌にて「最もセクシーな男性」に再び選出された。世界中で最も人気のある俳優の一人であり、名実共にハリウッドを代表するトップ・スターである。
なお、元々ミュージシャンだったからか、クラッシュのジョー・ストラマーを描いた『LONDON CALLING/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』(06)、ポーグスのシェイン・マガウアンを追った『shane [シェイン] THE POGUES:堕ちた天使の詩』(01、アーカイヴ映像出演のみ)などのパンクロック系作品や、ジプシー音楽を巡る『ジプシー・キャラバン』(06)など、ハリウッド大作でない音楽を題材にした作品にも積極的に参加している。 |
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