様々なジャンルの音が混じり合った陶然とするサウンド、挑発的で妥協を許さない歌、ボーカル、ジム・モリソンの魅力的な詞と存在感 - ドアーズはポピュラー音楽はおろか、ポップカルチャーを変えてしまうほどの影響力を持っていた。
1967年ロックシーンに登場したドアーズは、のちに名作と称されるヒット曲やアルバムを次々と出していく。彼らの功績は大きかった。音の作り手と聴き手の関係を新しく、より深いものに変えたのだ。単なるエンターテイナーになることをかたくなに拒んだロサンゼルス出身のバンドは、常にファンを挑発し、ファンと真正面から向かい合い、彼らにインスピレーションを与え続けた。他のバンドが“平和と愛”を歌っていたときに、ドアーズは人の心の闇に敢えて対峙した。
彼らのマネをするバンドは山ほど現れたが、彼らに匹敵する存在は生まれていない。デビューアルバム発表から43年経った今なお、ドアーズが残した音楽は影響力を増している。
UCLAの映画学科で顔見知りだったモリソンとマンザレクは、1965年の夏、ヴェニス・ビーチ(カリフォルニア州)で偶然、再会を果たす。歌手になる気はさらさらなかったモリソンだが、マンザレクのバンド、“リック&ザ・レイヴンズ”に参加。
モリソンが書いた詩に感銘を受けたマンザレクが彼を誘ったのだった。まもなく“サイケデリック・レンジャーズ”というバンドで活動していたクリーガーとデンズモアの2人も、彼らに加わった。バンド名は、オルダス・ハックスレーが自らの幻覚体験を綴った著書「知覚の扉」に由来している。4人はサンセット通り沿いのナイトクラブ、“ウィスキー・ア・ゴーゴー”で伝説的なギグを披露し、エレクトラ・レコードとのレコード契約にこぎつける。
デビューアルバム『ドアーズ』(邦題は『ハートに火をつけて』)は1967年1月にリリース。<ブレーク・オン・スルー>で始まるこのアルバムには、ヒットチャート1位に輝いた<ハートに火をつけて>や、エネルギッシュな <バック・ドア・マン>、幻想的な名曲<ジ・エンド>が収められている。デビュー1作目にしてスタイルを確立していた彼らは、ポップチャートや前衛芸術に衝撃を与えた。
同年、立て続けに2作目のアルバム『ストレンジ・デイズ(邦題『まぼろしの世界』)を発表。<ラヴ・ミー・トゥー・タイムズ>、<まぼろしの世界>、<音楽が終わったら>といった名曲の数々がラインナップされている。翌1968年には、自信たっぷりの<ハロー・アイ・ラヴ・ユー>、<ラヴ・ストリート>、<ファイヴ・トゥ・ワン>が入ったアルバム『太陽を待ちながら』を発表。その後 数年間は新しいサウンドを模索。1969年には、<タッチ・ミー>や<テル・オール・ザ・ピープル>を収めた『ソフト・パレード』を発表。
続く1970年には<ロードハウス・ブルース>、<ピース・フロッグ>、<ハイウェイの女王>を収めた『モリソン・ホテル』をリリース。翌1971年には<ライダーズ・オン・ザ・ストーム>、<ラヴ・ハー・マッドリー>が印象的なアルバム『L.A.ウーマン』を出した。久々の傑作アルバムとして高い評価を得たが、そのリリースと前後してモリソンは渡仏。
そして、同年7月3日、パリで死亡。享年27歳。彼の死に関してはいまだに謎の部分も多いが、現在では、死因はヘロインによるものという説が定着している。
絶頂期から数十年経った今、ロックの殿堂における彼らの評価は益々高まっている。ライター、活動家、映像作家など、もの作りの担い手にとって、彼らは今も反体制カルチャーを象徴する存在だ。映画、テレビ、ゲーム、リミックスなど様々な媒体に、彼らの楽曲は多く使われているが、そのサウンドは不思議と時代を感じさせない。
音楽や文化がたとえ転換期を迎えても、ドアーズはリスナーを増やし続け、彼らに“向こう側に突き抜けた”、新たな音楽体験を味合わせるだろう。 |
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